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西郷菊次郎の視点から語られる新しい西郷隆盛の物語~『西郷どん!』感想と読書メモその1

西郷どん!

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2018年NHK大河ドラマ『西郷どん!』の原作である林真理子著『西郷どん!』を読み始めました。

読書メモと感想や考察をブログに書いていきます。

それではさっそくいってみましょう。

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西郷菊次郎の視点で語られる新しい西郷隆盛像に期待

物語は、明治37年10月の京都市役所からスタートします。

その日の京都市役所では、御一新の英雄である西郷隆盛の息子、西郷菊次郎(きくじろう)が新しい京都市長に着任するということで、職員たちが浮き足立っているのです。

 

西郷菊次郎は、西郷隆盛が奄美大島で娶った妻、愛加那(あいかな)との間に生まれた子。

小説では菊次郎は、ほっそりとした長身の洗練された美男子として描写されています。

 

西郷菊次郎

▲西郷菊次郎

 

菊次郎には右脚がなく、義足をつけています。

これは27年前の西南戦争において、17歳で薩軍の一員として戦った際、銃弾を受けて切断したからです。

 

物語は、菊次郎が京都市長に着任した夜、京都市高級助役の川村鉚次郎に乞われて、父・西郷隆盛のことを語るという形で始まります。

 

子供の視点から語るという形で西郷隆盛が描かれたことはこれまでになかったと思いますし、正妻の子でない菊次郎には、父に対して複雑な思いもあるようです。

おそらくこの物語のクライマックスは、菊次郎自身の西南戦争従軍の記憶で終わるのでしょう。

これまでになかった西郷隆盛が描かれそうな期待が高まります。

 

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西郷どんの幼少期~すでに大器の片鱗が

物語は西郷隆盛の幼少時代に移ります。

西郷どん、幼いころは西郷小吉という名前でした。

父、吉兵衛と母、満佐(まさ)のもと、七人兄弟の一番上の長男として生まれます。

西郷家は下級武士で、家格は御小姓与(おこしょうぐみ)。

薩摩藩の城下の武士としては下から二番目の身分で、家はかなり貧しかったようです。

 

西郷どんは幼少期からすでに大器の片鱗があります。

まず、不思議と人を惹きつける顔をしています。

太い眉と黒目がちの大きな目。瞳はきらきらと光をはなっています。

そして無口な分、じっと目を見て相手の言葉を聞こうとするのですね。

こうした態度は大人たちからも一目置かれています。

 

そして、西郷隆盛といえば銅像などのイメージでも印象的な立派な体格。

生まれたときは身体が弱かったようですが、成長するにつれて身体も成長していき、10歳のころには父親と並ぶほどの背丈になっていました。

 

母から教えられた長男の心得

小吉は母から長男としての心得を叩き込まれます。

それは、長男たるもの弟や妹にひもじい思いやみじめな思いをさせてはならないということです。

小吉は朝は夜明け前から畑を耕し、家族のために働きます。

寝るときは一枚の布団を男兄弟で分け合うのですが、小吉は自分は端で布団からはみ出しても、弟を真ん中の暖かい場所で寝かすような少年でした。

そうした兄を、弟や妹は心から尊敬しています。

 

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薩摩の郷中教育

郷中は社会そのもの

薩摩には、地域ごとに若者がグループを作って自主的に教育を行う郷中教育(ごじゅうきょういく)という仕組みがあります。

小吉も、8歳になると郷中で年上の先輩から教育を受けるようになります。

 

小吉は幼い頃から、母に「郷中で笑われっようなことがあっては決してなりもはんど」と何度も言われています。

つまり、郷中のメンバーから軽く見られるようなことがあってはいけないということですね。

薩摩の武士にとって郷中は社会そのものであり、郷中での評判がその人物の評価を決めることになるというエピソードです。

 

おそらく西郷隆盛という人物の性格や行動規範に最も影響を与えたのは、この郷中という仕組みと、先ほど述べた長男としての心得であると思います。

 

多くの人材を輩出した下加治屋町の郷中教育

西郷隆盛が生まれたのは、下加治屋町という郷中。

いまでも鹿児島市加治屋町として町名が残っています。

場所は鹿児島中央駅からほど近い甲突川沿いの一帯です。

西郷隆盛大久保利通が幼少期に暮らしていた家のあった場所は公園として残っているのですが、実際に行ってみると徒歩数十秒の距離で、明治維新の英雄であり後に対立することになるこの2人が本当に近所の幼馴染だったんだということに驚きます。

西郷や大久保の他にも、この下加治屋町という小さなエリアからは、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛、村田新八、樺山資紀、牧野伸顕、吉井友実といった多くの人材が生まれています。

これはやはり、のちに下加治屋町の郷中のリーダーとなる西郷隆盛や大久保利通のリーダーシップによるものだと思います。

 

薩摩の郷中にも地域ごとに特色があり、学問はいいから身体を鍛えることが大事だという教育をする郷中もあったようですが、西郷隆盛こと小吉が属した下加治屋町の郷中ではそんなことはなく、学問を貴ぶ気風がありました。

 

12歳になった小吉は、幼馴染の大久保正助(後の大久保利通)、伊地知龍右衛門(後の伊地知正治)、吉井幸輔(後の吉井幸輔)らとともに、二才(14歳~24歳くらいの若者)の有馬一郎に学問を教えてもらうため、日々有馬家へと通っています。

 

以上、林真理子『西郷どん!』読書メモその1でした。

続きます。

 

参考 ~ 加治屋町の地図

▲西郷隆盛誕生地をはじめ、幕末から明治にかけて活躍した多くの人物の生家跡が見られます。

 

 

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