くまらぼ(@kumalabo_blog)です。
この記事では、自己肯定感が低いのは、子どものころに親からかけられた呪い、すなわち親から植え付けられた思い込みが原因かもしれないという話を書いていきます。
僕自身がそうなのですが、世の中には自己肯定感が低く自分に自信がないという人が大勢います。
ところが、そういう自己肯定感が低いという人が自分自身で思っている「自分の自己肯定感が低い理由」って、傍から見たら「そうかな?」というような、本人だけが思い込んでいるだけの理由であるというようなことも結構ありますよね。
むしろ本人が短所やコンプレックスだと思っていることが、客観的に見たらその人の長所じゃんということもあると思います。
でも、客観的に見たらそんなことないよと思っていても、本人にとっては自己肯定感が低い理由にはそれなりの根拠があるはずです。
僕は、多くの人の自己肯定感の低さの原因のひとつは、僕自身がそうであるように子どものころの親との関係にあるのではないかと思っています。
そのことについてさっそく書いていきます。
この記事の内容
ある親子の会話
先日、家の近所の回転寿司屋さんに行きました。
休日でしたが、ランチタイムを過ぎた半端な時間帯だったので、店内には数組の客しかいませんでした。
すこし離れた席に一組の親子がいたのですが、その父親の声が大きく、話している内容がいやでも耳に入ってきてしまいました。
その親子は、小学3~4年生くらいの女の子とその両親という組み合わせ。
酒を飲んで声の大きくなった父親が妻と子に対して、教育制度やいじめ問題について持論を語っている様子でした。
「うるさいなあ」と思いながら食事をしていたのですが、その父親が放った一言に耳を疑いました。
その父親が放った一言とは「ブスはいじめられやすい」という一言。
そんな非常識な言葉を周りに聞こえるような大声で話しているだけでもひどいのですが、さらに自分の娘に向かって、「だから○○ちゃんも気をつけないとね」と言ったのです。
聞こえなかったのですが、父親が言ったことに対して娘は何か反論したようでした。
ところが、娘の反論に対して父親がさらに言ったのが、「○○ちゃんのことが心配だから言っているんだよ」という言葉でした。
もしかしたらなのですが、この場面が、女の子が一生解けない可能性のある呪いを父親からかけられた瞬間だったかもしれません。
呪いとは、「自分はブスであり、だから人からいじめられる」という思い込みです。
この思い込みは、意識している場合もありますし、無意識のうちに心に刻み込まれている場合もあります。
もしこの呪いにかかってしまっていたなら、女の子はこの先、自己肯定感の低い自分と付き合いながら人生を歩んでいかなければならなくなるかもしれません。
愛の仮面をかぶったサディスト
「あなたのことが心配だから言っている」
「あなたのためを思って言っている」
こういう前置きのもと、ひどいことを言ってきたり、自分の価値観を押し付けようとしてくる人には要注意です。
この手の言葉を使って相手を支配しようとする人のことを、ラジオのテレフォン人生相談の回答者としておなじみの加藤諦三先生は「愛の仮面をかぶったサディスト」と呼んでいます。
「愛の仮面をかぶったサディスト」。
的確な表現ですね。
このタイプの人は、見せかけの愛で相手を苦しめる人です。
本音では、自分を正当化して、相手を自分の思うようにコントロールしたいと思っています。
加藤諦三先生によると、こうしたタイプの人にはものすごい無力感や劣等感があり、そうした感情から自分を守ろうとして相手を傷つけるという心理的な構造があるそうです。
親がこういうタイプの人間であった場合、一番の被害者になるのは子どもです。
子どもは親の愛情や関心を欲しいがために、親の言うことを素直に聞き入れようとします。
親が子へ言った一言は、子どもの心に深く刻まれて、子どもの人生に大きな影響を与えます。
親の言葉は子どもにとって一種の洗脳のようなものです。
その言葉が子どもの自己肯定感を低くするようなものであった場合、それは親が子にかけた呪いです。
加藤諦三先生の著書『モラル・ハラスメントの心理構造』にはこんな言葉があります。
「最も望ましい親は子どもを愛している親である。次は子どもを愛していないが、そのことを知っている親である。最悪は子どもを愛していないのに、愛していると思っている親である。最悪よりもっと酷いのは、子どもを情緒的に虐待しながら、子どもを愛していると信じこんでいる親である」
僕が親からかけられた呪い
かくいう僕も、親からの呪いをかけられています。
冒頭の回転寿司屋での親子の様子を見て、女の子の父親が僕自身の父親と重なりました。
僕の父親も、「お前のことを思って言っているんだ」という言い回しで子どもを支配しようとした人でした。
いわゆる毒親というタイプの親だったと思います。
子どもの頃の僕は、内向的でおとなしいタイプの、大人からみたら「すこし変わった子ども」でした。
中学生になるころには、そうした本来の性格に思春期におこる反抗期のようなものも加わり、家族とはほとんど口をきかないという時期もありました。
そうした僕に対して父親が投げつけたのが、「お前はコミュニケーション能力がないから他人の気持ちが分からない。お前のようなやつは社会に出たら生きていけない」という言葉でした。
こういう言葉を、「お前のことを思って言っているんだ」という前置きのもとに何度も投げつけられました。
この言葉は僕にとって呪いになりました。
自分はコミュニケーション能力が欠如していて、他人の気持ちも分からない。
そんな自分は社会では生きていけないという呪いです。
この呪いは僕にとってものすごい恐怖でした。
自分は他人の気持ちが分からないし、誰からも理解されない。
大人になったら社会では通用せず、生きていくことができないという恐怖です。
こうした感情は、確実に僕自身の自己肯定感の低さや自信のなさにつながりました。
大人になって働くようになっても、僕はこの呪いや恐怖感と付き合ってきました。
いまはなんとかうまくやっているけど、いつかダメになってしまうのではないか。
社会で通用しなくなり、生きていくことができなくなるのではないかという恐怖です。
僕はいま33歳ですが、この年齢になった今、親からかけられた呪いとすこしずつ向かい合おうとしています。
そういう気持ちになった大きなきっかけは結婚したことだと思います。
自分を冷静に客観視すると、他人の気持ちが分からず、誰からも理解されない人間が結婚なんかできないですよね。
結婚できたということは、僕にはそれなりのコミュニケーション能力や他人への思いやりがあるということです。
それに、なんだかんだで仕事をして収入を得て、この社会で生きていくことができています。
つまり、親が僕に言ったことは、なんの根拠もない悪口だったということです。
そして、そういうことを言った親自身が劣等感にさいなまれた未熟な人間だったのです。
そう考えると、僕自身の自己肯定感の低さも、根拠のない思い込みだということがいえます。
もちろん、こうした心理的な構造に気づいたからといって、長い間付き合ってきた心の傷を一瞬で癒やすことはできません。
これから時間をかけて心の問題と向き合いながら、自己肯定感を高めていくことになるでしょう。
おわりに
いかがでしたか?
あなたの自己肯定感が低いのは親からの呪いが原因かもしれないという話と、その呪いや自己肯定感の低さはまったく根拠のないものだという話を書きました。
子どもの心は傷つきやすく、いとも簡単に自己否定感を抱いてしまいます。
この傷は自然に癒えることはなく、放っておけば一生付き合わないといけないものなのかもしれません。
僕自身も、33歳になった今、子どもの頃の心の傷と少しずつ向かい合っていこうと思っています。
このブログにも少しずつ心のことを書いていけたらなと思います。
参考にしてみてくださいね。