出雲大社でご祈祷をして稲佐の浜、日御碕神社、須佐神社、長浜神社、出雲大社前のスタバを巡った一日【出雲旅行記3】

出雲旅行記、2日目です。

前回までの記事はこちら。

https://www.sodateru-blog.com/entry/diary-izumo1/

https://www.sodateru-blog.com/entry/diary-izumo2/

2日目の天気は曇り。
この日は朝早めに宿を出て、朝一番で出雲大社でご祈祷をし、そのあといくつかの神社を巡り早めに宿に戻るというスケジュールでした。

それではいってみましょう。

この記事の内容

出雲大社でご祈祷

宿泊したホテル、月夜のうさぎの朝食はバイキング。
昨夜の夕食に引き続き、超豪華な朝食です。
早めに起きて温泉でひとっ風呂浴びたら、朝ごはんを食べて8時過ぎには出発しました。

早く出発した目的は、出雲大社でのご祈祷。
せっかく出雲大社に近い宿に泊まったので、朝の清々しい時間帯、朝一番の回にご祈祷をしてもらおうと思ったのです。

朝一番のご祈祷は8時半ごろから受付開始で、ご祈祷は9時過ぎから。
社務所で受付用紙に住所氏名、数え年に願い事を記入します。

僕の願い事は「心願成就」。
出雲大社でのご祈祷の初穂料(謝礼のお金)は5000円から。
基本は一人につき一つのお願いということになるので、妻と2人合わせて1万円です。

申込みが終わったらご祈祷開始まで少し待ちます。
時間になって呼ばれたら、白い肩掛けのようなもの(正式な名称は分かりませんが、これをつけることで正装とみなされるそうです)をつけて、拝殿の中に入ります。

実は僕は以前出雲大社にお参りしたときもご祈祷をしてもらったのですが、そのときは式年遷宮の真っ最中。
確か工事のため拝殿は使えない状態ということで、社務所の奥のホールみたいなところでご祈祷をしてもらったのでした。
なので拝殿の中に入ることができたのは感動。

今回ご祈祷を受けた参列者は僕たちを含めて5人。
ご祈祷の流れは、太鼓と笛の音色が奏でられ、神職の方による祝詞、それに参列者全員の住所と名前、願い事が読み上げられ、巫女さんによる鈴の舞。
そして最後に一人ひとり御神酒を口にして、御札とお守りを受け取るという流れです。

ご祈祷の時間は20~30分ほど。

ご祈祷が終わると、拝殿を出て八足門の中に入り、本殿の間近でお参りをします。
八足門の中は普通は入ることができないのですが、ご祈祷をするか、もしくは参拝ツアーに参加するなどすれば入ることができるのです。

本殿の階段も間近で見ることができて感動。
ただ、案内係の若い神職の方がちょっと急かすような感じだったので、そんなに長居はできず、早々に門の外へ。

これでご祈祷は終了。

改めて素鵞社などにもお参りをして、出雲大社を後にします。

 

神魂伊能知奴志神社(命主社)、真名井の清水

出雲大社の境内から東に進むと、小川が流れていて、川を渡ると立派な塀の建物が両側に並ぶ趣のある通りに出ます。

この道を少し進むと現れるのが、命主社(いのちぬしのやしろ)こと神魂伊能知奴志神社。
小さいお社ながら、ピリッとした厳かな空気を感じる場所です。

御祭神は神皇産霊神(かみむすびのかみ)。
由緒書によると、神皇産霊神は大国主大神が危難に遭われた際には常にお護りされ国造りの大業を助成せられた神。
元旦の朝には、出雲大社の大御祭に引続き、国造以下神職参向の許、この命主社でも厳かに祭典が斎行されるそうです。

お社の手前には大きなムクノキが。

雷が落ちたことがあるそうで、焦げたあとがありますが、それでもなお青々とした葉っぱを茂らせる生命力に神々しさを感じます。

 

命主社から少し進むと、今度は真名井の清水があります。
ここの水は出雲大社の神事に関わる神聖な清水とされてきたそうです。

ただ残念ながらこの日は雨のあとということで、水が濁っていました。

たまたまやって来た地元のおじいちゃんと少し話しをしたら、「普段はもっと綺麗なんだけど。遠くから来たのに残念だったねえ」と言ってくれました。
出雲の人っていい人が多いなあ。

稲佐の浜 弁天島

真名井の清水を後にしたら、車に乗って稲佐の浜へ。

稲佐の浜は大国主命と建御雷神が国譲りの交渉をしたといわれる場所。
またいまでも神在月の10月には、海蛇を先導にして八百万の神々がこの浜にやって来るのだとか。

確かに弁天島とその上に立つ鳥居はなんともいえない神秘的な雰囲気。

せっかくなので裸足になって海水に足をつけてみました。
冷たい水が心地良いです。
稲佐の浜の砂はギュッとしていてかなり固い砂です。
砂というより土っぽい感じもあります。
よく見ると、黒い砂鉄が筋になって砂浜のあちこちに見ることができます。

たたら製鉄が盛んだった出雲という土地と、この砂鉄の多そうな砂浜はやはりなにかしらの関係があるのでしょうね。

 

日御碕神社

稲佐の浜をあとにして、次は車で日御碕神社へ向かいます。

日御碕神社は、伊勢神宮と対をなす神社であるといわれています。
伊勢神宮が日本の昼を守るのに対し、日御碕神社は日本の夜を守るとされているのです。

由緒書によると、天平七年乙亥の勅に「日出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り、日の本の昼を守り、出雲国日御碕の清江の浜に日沈宮を建て、日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らむ」と書かれているそうです。

日御碕神社は上下2つの社殿があってそれぞれに主祭神が祀られているちょっと不思議な造りの神社。
上の本社(神の宮)には素戔嗚命が主祭神として祀られていて、下の本社(日沈の宮)には天照大御神が主祭神として祀られています。

日御碕神社の社殿は鮮やかな朱色の権現造。

これは江戸幕府三代将軍の徳川家光の命によって建立されたものだそうです。

鮮やかな朱色の建物のためか、女神である天照大御神が祀られているためか、日御碕神社では女性的な穏やかな空気を感じます。

神社をお参りしたあとは、近くにある経島(ふみしま)を拝みます。
経島はウミネコの繁殖地となっていて、とてつもない数のウミネコがいますが、もともとは祭礼の島であった歴史があるようです。

御朱印をいただきました。

須佐神社

日御碕神社から40分ほど車を走らせて、出雲市佐田町須佐の須佐神社へ。
出雲市中心部から須佐神社のあたりへ行く道もめちゃくちゃのどかで自然豊かな道です。

須佐神社は須佐之男命(素戔嗚命)を御祭神とする神社。
出雲国風土記には、須佐之男命が「この土地は狭い所であるが住み良い所である。だから自分の名は木や石には付けず、この土地につけよう」と仰せられて自分の御魂をこの地に鎮め、この地は須佐という名になったという記述があるそうです。

少し不思議なのですが、須佐神社のお向かいには天照大神を祀った天照社があります。

まずは天照社をお参り。
こちらは小さなお社があるだけなのですが、境内の奥行きや狛犬の立派さを見ると、かつてはそれなりに立派な社殿をもつ神社だったのではないかと思われます。

天照社のあとは須佐神社をお参り。
緑がすごく豊かで、近くの川のせせらぎの音も聞こえる気持ちの良く、キリッとした空気感のある神社です。

▲趣のある立派な社殿

▲本殿の裏手には樹齢1300年という立派な大杉があります。

▲御朱印をいただきました。

 

長浜神社

次に向かったのは、須佐神社から出雲中心部へ向かう途中にある長浜神社。
神社は山の上にあり、下の駐車場に車を停めると長い石段を登らなければなりません。
細い舗装路を登ると、境内のすぐ隣に駐車場がありますので、楽をしたい人は上の駐車場に車を停めましょう。

こちらの神社の御祭神は八束水神津野命(やつかみずおみつぬのみこと)。
出雲の国引き神話に登場する神様で、素戔嗚命の孫といわれています。

国引き神話とは、出雲の土地が狭いので、朝鮮半島の新羅や北陸の高志(こし)の余った土地を綱で引っ張ってきて、それによって島根半島ができあがったという神話です。

つまり領地を獲得して領土拡張を成し遂げた神様ということ。
なので、武運の神様として戦国武将からの信仰も篤く、中国地方の戦国武将、大内氏、尼子氏、毛利氏、さらには豊臣秀吉などから社領寄進や安堵を受けていたそうです。

▲立派な社殿

▲厳藻かけ(いづもかけ)。
この厳藻かけが出雲の語源になったそうです。

▲御朱印をいただきました。

出雲大社のスターバックス

この日の最後、宿に戻る前に立ち寄ったのが、出雲大社前のスターバックス。
わざわざ出雲に来てスタバに行かなくてもなあ、とは思ったのですが、ここの2階席からの眺めってどんななんだろうと気になったのです。
あと、出雲大社前店限定のタンブラーもあるみたいですよ。

▲和の雰囲気の外観。

▲お店の前のベンチに座ってコーヒーを飲むこともできます。

▲2階の席はこんな感じ。
窓際の席に座ると、出雲大社の勢溜の鳥居がバッチリ見えます。
この日は平日だったからか、あまり人もおらずゆったりした雰囲気でした。

 

出雲旅行記2日目はこんな感じ。
続きます。

 

https://www.sodateru-blog.com/entry/diary-izumo4/

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