出雲大社から美保神社と佐太神社へ行き一畑山コテージに宿泊した一日【出雲旅行記4】

出雲旅行記、3日目です。

前回までの記事はこちら。

https://www.sodateru-blog.com/entry/diary-izumo1/

https://www.sodateru-blog.com/entry/diary-izumo2/

https://www.sodateru-blog.com/entry/diary-izumo3/

3日目は、2泊した宿「月夜のうさぎ」をチェックアウトして、次の宿である「一畑山コテージ」に移動する日。

出雲大社近くの宿から高速道路で一気に島根半島の先端、美保関の美保神社に行き、そこから松江方面に戻る形で一畑薬師の宿坊でもある一畑山コテージに向かいます。

この記事の内容

早朝の稲佐の浜→出雲大社散策

この日はせっかく出雲大社近くの宿に泊まったのだからと、朝食前に稲佐の浜へ散歩。

歩いてみてはじめて分かったのですが、出雲大社の表参道は本来は出雲大社から稲佐の浜に向かうこの道なんですかね。
道の両側には良さげな蕎麦屋などが並んでいました。

現在の出雲大社の表参道である神門通りは、鉄道の開通に合わせて大正時代につくられた通りらしいです。

出雲大社の勢溜の正面鳥居のあたりから稲佐の浜までは徒歩15分ほど。

この日は稲佐の浜の砂を少しすくって持っていくことに。

この稲佐の浜の砂をすくって出雲大社の素鵞社に納め、かわりに素鵞社にすでに置いてある砂を持って帰り、家を建てる土地の四隅にその砂をまくと、良い家が建つといわれているそうです。

というわけで、稲佐の浜から出雲大社に行き、素鵞社の軒下の木箱に稲佐の浜の砂を納めます。

家を建てる予定はまだないので、砂は持って帰らなくていいかということで今回は納めるだけ。
ただ、家を建てる予定のない人でも、小さな袋に砂を入れて手作りのお守りにしてもいいらしいですよ。

素鵞社を後にするとき、珍しい光景を目にしました。
神職の方や巫女さんが本殿や八足門内を清掃しているようです。

朝の9時前ごろの光景。
毎朝このように清掃しているのでしょうか。

宿への帰り道。
昨日は濁っていた真名井の清水がこの日はきれいになっていました。

真名井の清水の近くにあるご縁ポスト。

出雲の古い家で見かける鬼瓦ならぬ大黒瓦?

宿に戻ったら、バイキングの朝食を食べて部屋でゆっくり。
前日は気づかなかったのですが、部屋の窓からは日本最大の日の丸と言われる出雲大社の日の丸国旗が見えました。

チェックアウトの時間である11時頃まで、部屋でゆっくりしました。

 

美保神社

月のうさぎをチェックアウトしたら、島根半島の先端、美保関方面に車で向かいます。
出雲大社のあたりから美保関の美保神社までは、高速道路を走って車で1時間ほど。

美保関はのどかな漁村といった風情の街。

以前来たときは、焼きイカ売りのおばあちゃんたちがたくさんいたのですが、この日はいませんでした。平日だからでしょうか。

美保神社は古くて立派な神社。

美保神社は大社造の本殿が横に2つ並んでいる珍しい形式の神社で、御祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)。
事代主神は大国主命の長男であるといわれています。

大国主命のもとに国譲りの使者がきた時、大国主命は「私の一存では決められない」といって、美保で釣りをしていた事代主神のもとに使いを出すのですね。
すると事代主神はただちに、「この国は天孫に献上すべきである(この国は天つ神の御子に奉り給へ)」と言い、天の逆手(あまのさかて)を打ち、海中に青柴垣(あおふしがき)をつくるとその中に身を隠したと伝えられています。

この話は不思議な話で、天の逆手というのがなにかも青柴垣というのがなにかということも分からないんですよね。
古語で「隠れた」というのは「亡くなった」という意味。
天の逆手の意味にも様々な解釈があって、一説によると、手の甲と手の甲を打ち合わせる逆向きの柏手で、呪いの意味もあるとか。
都市伝説的な解釈では、自分が死ぬことで侵略者である天孫族に呪いをかけたということなのですね。

国譲りに対して徹底抗戦をして、最後は諏訪まで逃げて諏訪大社の神様になったといわれる弟の建御名方神(たけみなかた)とはまた違うかたちの抵抗です。

一方、美保神社の由緒書では、国の一大事に身をもって当たり、見事に成し遂げられ、謙譲の美徳と話し合いの大切さを示していると書かれています。
国を譲ることによって、その後の天孫降臨・神武東征が成り、今日の日本国家が成立していくとも。

事代主神は、後に民間信仰のなかで、七福神の恵比寿様に当てはめられるようになっていきます。
恵比寿様は商売繁盛の神様。
その解釈によると天の逆手は、商談がまとまったときや打ち上げの最後になされる一本締めや三本締めのもとになったとも言われます。

神話の話なので真実は分かりませんが、実際の歴史や現代にもつながる何かがありそうで、ロマンを感じますね。

こちらが美保神社の社殿、ものすごく立派です。

拝殿には、福種銭というものが置かれていました。

包みのなかに願をかけた10円玉が入っていて、それを50円と引き換えにいただきます。
いただいた福種銭の10円を使うことによって、世の中に福の種をまき、廻り廻って大きな福が帰ってくるというのですね。

廻り廻って大きな福が帰ってくるという発想が面白かったので、一ついただきました。

 

ちなみに神社には、そこに祀られている神様が男神なのか女神なのか一発で見分ける方法があります。
その方法とは、本殿の屋根の千木(屋根の上にある、Xの形をした飾り)を見るのです。
この千木が、地面に対して水平になっている場合は女神を祀っていて、垂直になっている場合は男神を祀っているのです。
(※すべての神社がそうというわけではないですが、一般的にはこの方法で見分けられます)

美保神社は横並びに男神の事代主神と女神の三穂津姫命が祀られているので分かりやすいです。

上の写真を見ると、向かって右側は千木が水平なので女神の三穂津姫命、向かって左側は千木が垂直なので男神の事代主神を祀っていることが分かります。

御朱印もいただきました。

美保神社は緑も多く、穏やかで優しい雰囲気のする神社でした。

 

青石畳通りと美保関灯台と灯台ビュッフェ

美保神社の鳥居を出ると、青石畳通りという石畳の通りがあります。

この石畳の道がつくられたのは、江戸時代中期のこと。
美保関の港は、北前船の西回り航路の寄港地として栄えたということで、その繁栄のなごりがこの石畳なんですね。

美保関の青石畳通りは、水木しげるもベビィの頃にやってきて感動したようです。

※「水木しげるの古代出雲」より

水木しげるの出身地の境港は美保関のすぐ近く。
それに水木しげるの子守であったのんのんばあは美保関の出身なのです。

 

青石畳通りを一通り見たら、車に乗って5分ほど走り、美保関灯台へ行きます。
美保関灯台は明治31年に初点灯された山陰地方最古の灯台。

今でも現役で使われていて、中を見ることはできません。

灯台の隣にある灯台ビュッフェというレストランで、お茶をしました。

日本海の見える席の眺めが最高!
曇っていて波も荒れていましたが、漁船が4隻、波を乗り越えて隠岐の島方面に向かっていました。
晴れていたらここから隠岐の島なども見えるんでしょうね。

佐太神社と佐陀のだんだん家のお供え神在餅

美保関灯台を後にしたら、次は松江方面に向かい、佐太神社へ。

佐太神社は3つの本殿が横に並んでいるこれまた珍しい造りの神社。

この三殿構えの造りは平安時代末期に成立したもののようです。
(現在の社殿は文化4年 1807年に造られたもの)

御祭神は中央の正中殿が佐太大神(さだのおおかみ)、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)など。
向かって右の北殿が天照大神、瓊々杵命(ににぎのみこと)。
向かって左の南殿が素戔嗚尊、秘説四座。
となっています。

主祭神の佐太大神とは、猿田彦大神(さるたひこ)のこと。
猿田彦大神は、天孫降臨の際に道案内をした神様として知られており、導きの神、道開きの神とされています。
これだけ多くのそうそうたる神々が祀られているなかで、道案内の神様である猿田彦大神が主祭神として祀られているというのもなにか深い理由がありそうでおもしろいですね。

佐太神社は静かでキリッとした雰囲気の神社でした。

御朱印もいただきました。

今回残念ながら、道が工事中ということで行けなかったのですが、なんと佐太神社の裏山には、伊弉冉命のお墓ともいわれる母儀人基社(はぎのひともとしゃ) というお社があります。

伊弉冉命は八百万の神々を生み出した母なる神。
神在月のとき、八百万の神々が出雲にやって来るわけですが、八百万の神々は出雲大社に滞在した後、この佐太神社にやって来るんですね。
母神である伊弉冉命のお墓参りにやって来るというわけです。

このとき佐太神社で行われる祭礼が神在祭(じんざいさい)。

この神在祭のとき神様にお供えされる食べ物が神在餅。
この「神在餅」が転化して「ぜんざい」となったといわれています。
(ぜんざいの起原には諸説あるようです)

そしてこの神在餅は、佐太神社の鳥居の前にある佐陀のだんだん家という喫茶店で食べることができます。

メニューにはお供え神在餅と書かれています。
500円です。

そしてこちらが実際のお供え神在餅。

普通のぜんざいとなにが違うのかというと、甘くないんですね。
砂糖の入らない小豆の煮汁に餅を入れたものが本来のぜんざいだそう。
現代人の味覚にはこれは合わないということで、お椀に砂糖も添えられていて、自分の好きなように甘みを調整することができます。

こうして甘みを調整してみると、普段食べているものにどれだけ砂糖が使われているのかを実感できますね。
お供え神在餅、正直美味しいものではないですが、いままでのぜんざいの常識をくつがえす珍しい経験ができました。

 

一畑山コテージ

ぜんざいを食べたら、この日の宿である一畑山コテージに向かいます。

一畑山コテージは、一畑薬師に併設されているコテージです。
もともとはここに一畑薬師の宿坊があったようなのですが、宿坊に泊まって参拝する人が減ったことから、大きく方向転換をして、洋風のオシャレなコテージが作られたということみたいです。

広々とした敷地に2棟のみの贅沢な空間の使い方、それに山の上から宍道湖を一望できる景色が最高です。

コテージにはキッチンと調理道具が備え付けられているので、滞在中は地元のスーパーで食事を買って料理を作りました。

1日目は、一畑山コテージから車で15分ほどの平田の街で、割烹温泉ゆらりという温泉に入り、

ラピタとグッディーという地元のスーパーで食材を調達し、

コテージに戻ってから簡単な調理をして夕食を食べました。
今回は2連泊したのですが、平日ということもあってか隣の棟に宿泊客はおらず、ゆったりと過ごすことができました。

一畑山コテージは一畑薬師という立派なお寺に併設されているので、お寺のコテージならではの体験もできます。
そのあたりは次の記事で。

続きます。

 

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